朝鮮について思うこと

◆朝鮮人のどこが問題なのか

このコメントでは朝鮮人という言葉を使います。
韓国人と言ってもよいのですが、民族的な話をしたいので、あえて朝鮮人と呼びます。北朝鮮の人々が、実際今現在どういうメンタリティを持っているかは、情報もなくわかりませんが、とりあえず民族としては同じ、ということで考えます。

🔴官僚の国

朝鮮人の問題点は、簡単に嘘をつき、ねつ造をする、ということに尽きるのではないでしょうか?この体質がどこから来るのか、について私は、その被支配の歴史の産物なのではないか、と考えています。

朝鮮は官僚の国、ということがよく言われます。官僚とは国家の組織を形作る人達のことで、完全な縦社会で成り立っています。大会社の組織のようなものを想像するとわかりやすいかもしれません。

朝鮮は日本に比べて動乱の歴史が少ないことが特徴です。朝鮮は新羅による半島の統一以降、あまり大きな変動は経験していません。新羅の統一、と言ってもそれは唐の後ろ盾あってのものであり、実質唐の属国であったわけです。

唐の後は五代の時代を経て宋、元、明、清と大陸では巨大な帝国が君臨し、朝鮮の完全な独立国としてのアイデンティティは崩壊しているのです。

その結果、国そのものが官僚化し、大陸に合わせることで事なきを得る、という国造りをしてきたのが朝鮮の歴史です。

🔴朝鮮は儒教の国なのか

よく韓国の人は、自分たちの国は儒教の国であり、儒教的価値観が支配している、というようなことを言います。しかし私はいつもこれに違和感を感じていました。
韓国はキリスト教もかなり普及しています。しかし儒教とキリスト教というのは本来共存するようなものではないのです。

日本において、キリスト教が広まらなかったのは、儒教が強かったからであるという説があります。儒教は現実的な価値観を持っていて、イエス・キリストの人物像を、磔になり罪人として殺された人、と見ていました。つまりは負けた人であるわけです。これを神としてあがめるということが、儒学者にはさっぱり理解できませんでした。

これは儒学者としては、真当な見方であり、このようなドライな見方がベースにあった日本でキリスト教が広まらなかったのは、理解できるところだと思います。

しかし韓国ではあっさり広まりました。これは韓国が儒教の国であったからではなく、救世主であっても迫害を受けたという事実が、迫害を受けた国にとっては「救い」になったからなのではないでしょうか。

ですから朝鮮の特徴は、儒教文化ではなく、常に国として虐げられてきた歴史と、官僚支配の歴史であると考えるべきなのです。

🔴正当化される恨み

韓国出身の言論人である呉善花さんは、韓国の文化の特徴を「恨みの文化」であると語っています。常に虐げられてきたからこそ、何かを恨まねば自我が保てない、という構造です。
実際この理屈に沿って所謂「日帝」が全ての悪の根源、というスタイルを李承晩以来、韓国は一貫してとってきました。恨まれた方にとっては迷惑至極ではありますが、それは彼らにとってはどうでもよいことなのです。

🔴ねつ造体質

官僚支配の特徴は、最優先事項に秩序の安寧を持ってくる、ということです。今ある体制を未来永劫続けることが官僚の本願であり、それは他の全ての価値観に勝ります。ですから彼らにとっては秩序の維持ができれば、ねつ造しようが嘘をつこうがノープロブレムなのです。

この結果、秩序の安定のため、という枕詞さえつけば、ねつ造も嘘も悪ではなくなるのです。韓国人はこれも儒教からくるもの、と考えるのですが、それは孔子に失礼というものでしょう。これは明らかに官僚支配国家から来る価値観なのです。

ここで最も始末が悪いのは、このように目的があればねつ造をする、という価値観の異常さに彼らが気づいていない、ということです。彼らは、目的のためにねつ造することは誰でもやることだ、と考えています。だからこそ、日本の歴史に次々とねつ造のレッテルを貼るような非常識なことができてしまうのです。
自分たちがやっているのだから日本人もやっているに違いない、という理屈です。

好太王碑文を最初に本格的に調査した、酒匂大尉という人がいますが、この方が碑文を改ざんした、という疑惑を、長らく韓国の学者が主張していました。碑文の記載に朝鮮にとって認めたくないことが書かれていたからです。

今ではその疑惑は晴れていますが、この例なども朝鮮人の気質をよく表しています。

日本にはこうしたねつ造体質はありません。そもそもそういうことをしなければならない理由がないからです。日本で最初に歴史書を作ったのは聖徳太子であり、聖徳太子は官僚ではありません。日本には貴族支配の歴史はあっても、官僚支配の歴史はないのです。

◆戦後の日本で失われたもの

🔴戦後の日本の異常さ

こうした朝鮮人のねつ造と嘘に対する感覚の異常さと、戦後の左翼的な自国歴史への否定の概念が結びつき、自虐史観が定着していきました。勿論GHQのせい、という部分もあるでしょうが、日本国内にそうした流れに加担したものがいたことは、紛れもない事実です。
この流れの中で、古事記や日本書紀はその歴史書としての地位をはく奪されました。神功皇后の三韓征伐も歴史から抹消されてしまいました。

🔴日本書紀の歴史書としての価値

確かに日本書紀は歴史書としては完全ではありません。その最も重要な観点は、歴史書にとって命ともいうべき、年代記載に数々の矛盾があったということです。

これについては、確かに問題点の一つであるとは思います。古事記にしても日本書紀にしても、年代は干支で記載されています。ただ古事記は干支の記載箇所はそれほど多くはありませんが、日本書紀については、きっちりと記載してあります。

これはこの日本書紀を編纂する編纂者側が、年代記として完結したものを作ろうとした、ということを意味しています。

ただ日本で大陸式の干支による紀年法が確立したのは5世紀ごろであると考えられていて、それ以前はそうした概念を持っていませんでした。ですから日本書紀の編纂者に、そこまできっちり年代を記載できる資料があったとは考えられません。

その意味では日本書紀の編纂者がねつ造した、といえばその通りでしょう。しかしそれはあくまでも体裁を整えるためであり、都合の悪いものを書かないというようなねつ造ではありません。しかし、日本書紀を読めば、その年代比定に、日本書紀の編纂者が苦労していたことがちゃんと読み取れるのです。

いわゆる百済三書という、現在は存在が確認されていない朝鮮の歴史書についての記載が、日本書紀の色々な箇所で引用されています。そうした外部資料を駆使してなんとか年代比定を試みたわけです。

ですから確かに日本書紀の年代については、そのまま信じるわけにはいかない、ということはその通りでしょう。しかし書かれている内容については、それを架空のものとする根拠は一つもないのです。

🔴私が尊敬する一人の朝鮮人

朝鮮から少しそれてしまいましたが、最後に私の尊敬する一人の朝鮮人についてお話します。

百済の王様で、聖明王という人がいます。
以下は日本書紀の記載を読んで私が勝手に妄想した情景です。事実とは異なるかもしれませんが、私はおおむねこんなことが起きていたのだと思っています。

欽明天皇の時代、天皇は任那(みまな)再興の詔勅を出しました。

このとき百済の聖明王も、詔勅を受けて、現地で会議をしました。
当時の敵は高句麗です。
日本人の駐在官僚を前に聖明王はいいます。

わたしが兄とも父とも慕う日本の天皇が、任那再興を願われているのだから、何とか実現したい。あなたがたも真剣に取り組んで欲しい。新羅の王は天皇を軽んじていて、信用がならない。

しかし日本人の駐在官僚は言います

聖明王よ、任那再興とはいっても、実際には現実的なことではない。本土の人間はこちらのことはわからないで言っているだけなのだ。適当に闘って報告するしかないだろう。

聖明王:お前たちはそれでも天皇の僕なのか、話にならない。この上は天皇に直にお気持ちを確認するしかない。

こうして聖明王は日本に直接使者を出します。

しかし用意周到な官僚たちは、日本に嘘の報告をして、聖明王についての悪口を吹き込んでいたのです。結局日本が積極的に増援部隊を出すことはありませんでした。現地官僚たちは、自分たちにわいろを贈ってくれる新羅の王とねんごろになっていて、真面目一本やりの聖明王を煙たがっていたのです。

こうして悲壮な決意で、聖明王は一人立ち上がり、高句麗と闘います。
そして壮絶な最期を遂げるのです。

後日聖明王戦死の報を聞いた欽明天皇は深く悲しみます。

 

以上ですが、私はこの聖明王こそ、朝鮮がアイデンティティを失う前の、真の朝鮮人であったのではないか、と思っていますし、尊敬しています。

よくこの当時の朝鮮と日本との関係について、国と国同士の対等な関係であって属国ではない、とかなんとか注釈付けることが多いのですが、こういうことを言う人を見ると私は悲しくなります。

天皇を兄とも父とも慕う、という王様がおさめた国を私は属国とは思わないし、国と国との対等な付き合いというような、無味乾燥なものだとも思いません。まさに家族同然の国であったのでしょう。しかしその百済の国は結局滅ぼされ、朝鮮は大陸によって1400年間もの間支配され続けたのです。不幸なことです。

この百済人の末裔は今でも全羅道あたりにいるのだろうと思います。

 

 

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